2011年5月のアーカイブ

2011.05.26  アイデンティティ

 有栖川公園を歩いていると、不意に「アイデンティティ」という言葉が浮かびました。日曜日の公園にはいつも外国人のお父さんが、子どもを連れてくる。サッカーボールの蹴り方を教えたり、キャッチボールをしたり。日本のお父さんは少ない。外国のお父さんは、子どもたちと共に戸外で過ごし交わるのが日曜日の仕事のようです。英語に混じって、時おりフランス語も聞えます。

 そんな外国語から「アイデンティティ」という言葉が思い浮かんだのか。それもある。が、岩手県陸前高田の浜辺の一本松が頭から離れないのです。

 その浜には長く続く松原があった。土地の先人たちが育て伝えてきた見事な松林。何十年もの間、防潮林の役割を果たしてきた。しかし、あの3月11日。大津波は松原を呑み込んでしまった。凶暴な津波が引いた後に、ふしぎなことに一本だけが生き残った松の木があった。

 なぜ一本だけが? だれにもわからない。運命か。ヒョロっと高く立つ一本松。前面に太平洋、背後には市民たちとそのなりわい、喜怒哀楽の日常があった。

 ぼくの心にその一本松が見える。すると、「アイデンティティ」という言葉が、不意に浮かんだのです。

 以下は、ぼくに聞えた一本松の独り言です。



なにがあのとき起こったのだろう
たった一本 残ってしまった松の木のぼく
一瞬で 消えてしまった何百本の仲間たち
いくら考えてもわからない どう考えてもわからない
どうしてあんなことが 起こったのだろう

陸前高田の浜は広がっていた
ぼくたちはその浜に立つ緑の松原 1キロメートルも続いていた
それは陸前高田のシンボルだった 市民たちの誇りだった
松原を吹く風は 陸前高田の四季の歌をうたっていた
冬の歌 夏の歌 夜明けの歌 大漁の歌
人びとは松原にきて 悩みをつぶやき 夢を語り 癒されていった
ぼくたちは住民の言葉を聞いて育った ともに生きていたのだ
子どもたちは松ぼっくりをひろい 落葉は風呂を沸かし 肥料にもなった
ぼくたちのスクラムはつよい海風を防ぎ 人びとの暮らしを守っていた

そのぼくたちが 自慢の松林が あっという間に消えた
いったいぜんたい どこにいったんだ どこにいったんだ
ぼくだけひとり置き去りにして 仲間たちをどこに消したんだ

あれからのぼくは
ひとりぼっちで雨にぬれ
ひとりぼっちで風を受け
ひとりぼっちで雲を眺め
ひとりぼっちで星を仰ぐ
ひとりぼっちで浪の音を聞き
ひとりぼっちで水平線を見る

ひとりぼっちじゃ 意味がない なにもかも空しい
声をあげても 呟いても 聞く相手がいない
ああ 「孤独」ってこういうことなんだ
ヒョロヒョロのっぽのぼくだけが 広い浜に立っている
仲間がいない松なんて 陸前高田の松じゃない
ぼくも仲間といっしょに津波に呑まれて消えてしまえばよかったんだ
どうして ぼくだけ残ってしまったんだ?

余震がくる いくどもいくども 余震がくる
懲りないで しつこくて 執念深くやってくる
揺れるたびに ぼくの根っこが踏ん張る 無言で踏ん張る
その踏ん張りにぼくは気付いた
なんてぼくは弱虫なんだろう
なんてぼくは意気地なしなんだろう
なんてぼくは身勝手なんだろう

ぼくの根っこがぼくにいう
はっきり生きろ はっきりさせろ
きみのアイデンティティは何なのだ?
きみの生き甲斐はどこにある?
それでもまだ ぼくの気持はさまよっていた

三月が過ぎ 四月になった 南の風が吹いてきた
その風に なにか 優しい香りがただよっていた
あ 水仙だ 痛めつけられた土の中から顔をあげ
凛とした香りを放っている小さな花がいる
ぼくは気づいた ぼくの使命に気がついた
たったひとり残ったぼくだから すべきこと
それは語り部 大切な仕事ではないか

ぼくが見たことを ぼくが聞いた音を 語り伝えていかなくては
マグニチュード9.0 その大地震と大津波の証人なのだから
その語り部として残されたのが ぼくだった
陸前高田があるかぎり 高田の浜辺があるかぎり
この浜に松原はなくてはならない 松原のルネッサンスを

芽吹く若葉を育て 松ぼっくりをたくさんつくり
陸前高田のこの浜辺に ぼくのDNAを残していくのだ
防風 防潮 人びとに憩いを それが ぼくのアイデンティティ
負けないで ひるまないで 背筋を伸ばして生きていく
この一本松が 希望のシンボルになるために
この一本松が 励ましの存在価値となるために

Oh, My identity. (A)

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2011.05.12  天地返し(てんちがえし)

 むかし、といってもどれくらいの昔かわかりません。
 農村では「天地返し」という大掛かりな作業が行われていたという。
 江戸時代でしょうか、もっと以前からでしょうか。
 疲弊した田や畑を、生き返らせる唯一の農法だったらしいのです。

 天地を返す、とはどういうことか?
 長い間農作業をつづけていると、肥えた土もやがて痩せて豊作はおぼつかない。まして質のよい作物はできなくなっていきます。そこで、ある農民の知恵者が考えたのが「天地返し」。表面の土=天と、深いところの土=地を、ひっくり返すというのです。3尺返す、というから約1メートルもの深さの土を表面に移し、表土をいちばん下に埋める。農民は手と鍬の力、まったくの自力で田畑の土を上下させ、まぜていた。想像を絶する重労働、時間もかかる。しかし、ほかに農地蘇生の方法はなかったのです。

 いま福島県飯館村など放射線汚染地区では、小・中学校の校庭の表土を50センチほどけずり取る作業が行われています。テストでは、汚染された表土を50cm取り除くと、その下の土の放射線量は十分の一に減るという。しかし、なんと空しく、ばかばかしい作業でしょう。金も、時間もかかり、不安は残る。まったく無駄で、空虚な労働。が、それ以外に子どもたちを運動場に出すことができません。
もちろん、東電原発事故の放射能に「汚染された土」を始末するためです。この原因をつくったのは東電。飯館村が憤りに燃えるのは当然です。日本国民は、この事実を忘れてはならないでしょう。

 表土を削るショベルカーの影像を見ながら、ぼくは「天地返し」という言葉を思い出したのでした。当時の農民はどれほど大変な苦労をして「天地返し」を行ってきただろう。しかし、そこには放射能の恐れも不安も憤りもなかった。
天地返しが済めば、また何年間かは豊作が期待できた。つまり、希望のある作業だった。であればこそ、農民は苦労に耐えて作業に励んだはずです。

 削りとった厚さ50センチの表土には放射性物質が含まれています。天地返しのように1メートルの深さに埋めても、なお何十年ものあいだ地域の人びとを苦しめ続けるでしょう。それに対する償いは、だれが、いつまですべきなのか、それも忘れずに記憶しておきたい。

 悪い原因をつくらない社会をつくること。それが「進歩」のはず、「知恵」のはず。原発は最悪の原因をつくる悪しき文明であることが明白になりました。全面的に廃止すべきだと思います。

 いま、気づきます。
 「天地返し」が本当に必要なのは、文明に麻痺し良識と知恵が衰えてしまった21世紀文明、そしてわれわれ現代人なのではないでしょうか。価値観の「天地返し」が求められていると思います。(A)

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2011.05.06  海が待っていた!

 岩手県大船渡市の漁師・林さんは、3月11日、大津波のとき勇気をふるって沖に船を出した。そして、自分も船も助かった。が、街は見るも無惨に。

 自分は漁師だ。漁に出たい。しかし、だれが魚を買ってくれるのか? だれが売ってくれるのか? 魚市場施設がすべて破壊されてしまったなかで。

 海産物販売の八木さんの事務所も津波が襲う。八木さんは押し寄せる津波の恐ろしい音を聞きながら、ノートパソコンとケイタイ電話だけをもって逃げた。これまでの流通システムはダウン。回復は、いつになるかわからない。待ってはいられない。魚は海にいるのだ。漁師もいる。

 漁の一部始終を動画でネット中継し、直接消費者に発信しようと気づく。手づくり・最小の販売方法だ。漁師と消費者を直接つなごうと考えたのだ。魚と客をつなぐのだ。

 八木さんは漁師の林さんに声をかけ、2人は船を海に出す。沖へ30分。網の中からカレイ、タコ、カニ、タラなどが、どんどん上がってくる。「海が待っていた!」と林さん。笑顔。豊漁。小型カメラを船にくくり付け、漁の一部始終を動画で写す。それをパソコンに取り込んで発信しようというのだった。ところが、海上からの送信がうまく働かない。

 漁獲を岸にあげる。獲れたての鮮魚をケイタイ電話のカメラで写し、インターネットで発信。詰め合わせセットを作って待つ・・・・。まもなく買い手が! どんどん売れはじめ、半日で完売。宅配便で発送。この初日、87,000円を売り上げた。

 林さんはいう。「生産者の人格が見える商品を、お客さんに直接届けられる」。

 八木さんはいう。「未来に、ちゃんとつながる販売の手応えを感じた」。

<2011.05.01(日)NHK-TV番組『サキどり』での報告から>


 志。発想力。情熱。そして愛。それらがひとつになって、人間を突き動かす。そのとき新しい知恵が生まれた。それが困難を打開した見事な例ではないでしょうか。漁師。鮮魚を食べたい市民。それをつなぐ人。この3者がいて成り立つ、素朴・最小のシステム。流通の基本の姿。しかも3者の人肌が感じられ、商品には熱い願いが付加されている。

 これは「希望」を語っていないでしょうか。

 もうひとつの価値にぼくたちは気づく。それは「共にあるビジネス」ということ、「連帯感」というビジネス。支えあって共に生きる「ともいき」という、これからの社会のイメージです。

 とはいえ、大船渡市の現状は、死者:303人、不明:約160人、避難:6290人、倒壊:3630棟(朝日新聞5月1日)。前途は依然として遼遠です(A)。

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