2011年8月のアーカイブ

2011.08.15  8月15日という日。

8月15日という日。

昭和20年8月15日、暑い日だった。正午12時、疎開先の家の茶の間に大人たちに混じってぼくも正座していた。中学4年の兄は、この日も軍の工場に学徒動員されていた。
「天皇陛下の重要放送」というので、みな緊張していた。古いラジオから流れてきた甲高い声、難しい用語、異様な雰囲気の「玉音放送」。だが、14歳のぼくには言葉の意味が理解できなかった。いったい、どういうことなのだろう?
 やがて大人たちが泣き始めた。首を垂れ無言で涙をぬぐっている。その姿がいっそう緊張を迫った。負けたのだった。戦争に敗北したのだった。

「ポツダム宣言」受諾を英断したのは天皇だという。が、玉音放送前日の14日夜、クーデターを起こす反乱軍との間に切迫した攻防があったという。反乱軍の若手将校が司令官を射殺。「玉音放送」のレコード盤を奪って、戦争続行を天皇に迫ろうとしていたのだ、と。

戦争は狂気だ。常識も良識も失わせる。大日本帝国という軍事国家は、精神だけで戦争に勝てると狂信した実に愚かな国だった。その犠牲になった死者は310万人という(NHKラジオ)。広島と長崎で被爆後に亡くなった方々は、その中に含まれているのだろうか。負傷者はどれほどになったのだろう。ぼくの縁者では叔父(サイパン島で玉砕)、従兄弟1(中国で戦死)、従兄弟2(中国で病死)。

国家間の戦争に、多分「聖戦」はない。戦争は、「戦(いくさ)」ではない。「経済」が支配している。裏では損得がとぐろを巻き、儲けるグループもいるのだ。愚かな国家指導者と経済の犠牲者が靖国神社に「祭られて」いる。悲しい神社だ。

「死んだ人たちは帰ってこない以上、生き残ったぼくたちは何がわかればいい?」。8月15日は、このことを考える日だと、いつもぼくは思うのです。2011.08.15(A)

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2011.08.09  87歳の方の声をご紹介します

長崎被爆の日。朝、人類2発めの原子爆弾で亡くなった(殺された)何万人という長崎市民の菩提を祈りました。ロウソクが揺れ、僕の気持もゆらぎました。広島と共に、これほどの大量虐殺が許されている世界の現状。投下した国の言い訳。いつも不愉快になり心が乱れます。

今朝の朝日新聞「声」覧に、石田 享さん(87歳。無職、東京都日野市)という方の「声」が載っていました。全文を引用させていただきます。

 ホタルの飛び交う故郷を返せ

 私は、事故を起こした福島第一原発のある福島県大熊町で生まれ育った。今年は例年のようにお盆に帰省して、墓参りすることができない。浴衣がけでホタルの飛び交う田園の稲穂を見ることも、縁側で迎え火を見ながら親類縁者や
旧知の友と酒を酌み交わすこともできない。
 放射能とやらの目に見えない怪物のおかげで古里に帰れないと思うと悔しくてたまらない。
 今にして思えば、安全だといいながら、消費地からはるか離れたへんぴなところに原発を造ったということは、やはり計画した人は、危険を予知していたのだと、初めて気づいた。
 だまされる方が悪いとはいえ、お金も入り、勤め口もでき、ましてお上が大丈夫というのだから、農家の次男、三男や細々と商売をしている人が、こんなおいしい話はないと思ったのも無理からぬ話だった。
 原子爆弾を落とされた日本人がなんでこんな危険な原発を導入したのか。営々と築いた先祖伝来の土地が、あの非情な怪物に未来永劫占拠されるのか、と。

 石田さんは淡々と事実を述べておいでです。それだけに、お上と電力会社にだまされた深い思いが伝わってきます。加えて放射性物質に汚染された稲ワラ。その被害を受けた農家や酪農家の地獄の苦しみを思うと、原発をどうしても許せない思いが迫りました。2011.08.09(A)

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