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石川淳哉「ソーシャルグッドの男」 Vol.04

retired weapons再始動【前編】
誕生秘話

曲げられた銃口に挿された美しい花。見た人を思わず立ち止まらせる銃や戦車のグラフィック。石川淳哉の代表的な活動の一つであるピースアートプロジェクト『retired weapons』の話を、前編・後編でお伝えします。前編はretired weapons誕生までのお話です。
(取材・文/水谷美紀)

誰も傷つけず、平和の入り口となる表現を

水谷 今日は『retired weapons』の活動についてうかがいます。グラフィックが印象的で、一目見たら忘れられないインパクトですが、そもそもあれは何だ? どういう活動なのか? と思っている人も沢山いると思います。

石川 WEBサイトをご覧頂くと分かりやすいと思いますが、「みんながハッピーになればいいな」という想いを伝える、シンプルなアートプロジェクトです。retired weaponsの戦車や銃を見て、なんで武器に花が咲いているの? とか、こんな戦車可愛いねとか、花瓶みたいで面白いとか、何でもいいから感じてもらい、今よりちょっとハッピーになったり、平和について考えるきっかけになって欲しいという願いが込められています。

水谷 「ソーシャルグッドの男」の活動としては、かなり初期に始めたものですよね。ここに到る経緯を教えて頂けますか。

石川 一緒にプロジェクトを立ち上げたアートディレクターの徳田祐司さん(当時電通)と出会ったのが2002年です。Vol.01でお話ししたように、『世界がもし100人の村だったら』をきっかけに僕はソーシャルグッドに目覚め、色んな取り組みを始めたばかりの頃でした。たまたまその一つとして高松聡さん(当時電通)とあるプロジェクトを計画していたのですが、その時にオランダから帰国したばかりの彼を紹介されたんです。

水谷 徳田さんもピースアートに興味を持っていらっしゃったのですか。

石川 徳田さんは既にオランダで原爆をテーマにした平和アートを発表していました。けれども、やはり題材が原爆なだけに100%ポジティブな受け取り方をされなかったみたいで、次は平和とアートをポジティブな形で組み合わせたいと考えてたようです。僕は僕で誰も傷つけない優しいコミュニケーションを探っていたので意気投合し、二人で何か一緒にやろうということになったのです。

水谷 初めから戦車や銃口のアイデアがあったのですか?

石川 なかったです。特に、戦車をモチーフにしようなんて考えは、僕の中にはまったくなかった。ただ、何かアイコンになるグラフィックは考えたいねという話は初期からしていました。これまで平和を象徴するアイコンというと、鳩やスマイルマークなどがあるけれど、どれも僕にはフィットしなかったから、新しいアイコンの必要性を感じていたんです。そしたらある日、ポンと徳田さんから「できた!」とショートメールが来て、急いで合流、初めて見たのがあのアイコンでした。「これで行こう」即決でした。

リスクに脅えつつ、自腹でスタート

水谷 それですぐにretired weaponsのプロジェクトがスタートしたのですね。

石川 いえ、実は準備に1年半くらい時間をかけているんです。他のプロジェクトと違う次元で考えることが多く、どうアプローチしたものか頭の中で揺らしている時間が長かったです。

水谷 意外ですね。これまでの活動を拝見していると、どのプロジェクトも思ったらすぐ行動に移している印象なので。

石川 何故ならそれは、怖かったからです。武器をモチーフにしているので、色んなリスクを考える必要があったんです。僕はプロデューサーだから、ありとあらゆる危険は徹底的に回避する。それが仮に個人の活動であっても、自分はもちろん、身近な人間や会社に火の粉がかかることは絶対に避けなきゃいけない。銃や戦車を使ったアートというのは僕にも経験がなかったので、あれを世に出したらどうなるか、まったく予測がつかなかったんです。ひょっとしたら、とんでもなく恐ろしいことが起きるんじゃないか。そんな可能性まで視野に入れていたので慎重にならざるを得なかったんです。

水谷 実際に世に出してみて、どうでしたか?

石川 意外なくらい、ネガティブなことは起こらなかったんです。むしろ行く先々で歓迎されることしかなかったので、良い意味で拍子抜けしました。

水谷 ステッカーなど様々なグッズもありますが、大きな戦車のバルーンは特に印象的ですね。子供から大人まで、もし目の前にあったら誰もが駆け寄りたくなる魅力があります。

石川 実はあれも、もともとバルーンを作ろうと僕らが考えていたわけじゃないんです。キャンペーンなどで使うバルーンを作っている業者の人がどこかであのグラフィックを見て、いきなり「戦車のバルーンを作りませんか」と売り込みに来たんです。それまで戦車のバルーンなんて発想すらしてなかったけど、話を聞いたら面白そうで、よし、作ってみようと。

“わらしべ長者”でミラノまで

水谷 何か行動を始めると、次々に新しい出会いが訪れたり、仲間や味方に恵まれるのも石川さんの特徴ですね。

石川 ええ、仲間にとても助けられたのは事実です。このプロジェクトは、わらしべ長者、あっ、今風に言うとバタフライエフェクトですか? みたいなところがあるかもしれない。一つのアイデアから応援してくれる人や国やさらに大きなアイデアにつながっていく感じがとても気持ちいい。平和プロジェクトってやってみるとスポンサーが付きづらいわけですよ。バルーンの制作費も車1台分ぐらい平気でかかる。作ったバルーンをイベントに展示する際も、展示にかかる費用は企画する側が負担してくれるけれど、現地までの発送費や僕を含めたスタッフの交通費や宿泊費は自己負担だから、実は膨大な費用がかかるんです。だから、みんなの協力がとてもとても助かったんです。そんなこんなで2005年1月1日にWEBサイトがスタートし、正式にretired weaponsは産声を上げました。

水谷 すぐに雑誌『PEN』で大きく取り上げられ、一気に多くの方に知られることになりましたね。

石川 『PEN』の反響は大きかった。当時はまだWEBサイト(日本語と英語と中国語)しかなかったので、すぐにROBOTの協力を得てアニメーションも作ってもらいました。TRANSITの中村貞裕さんからも連絡が来て、6月には彼が手がけている目黒のホテルCLASKAで発表会にあたるパーティを開催することも出来て。その時が戦車バルーンのお披露目にもなりました。

水谷 Sign 外苑前でもカフェをされ、非常に良い宣伝になりましたね。

石川 中村さんは常にカルチャーのアンテナが立っていて、しかも行動が人一倍早い人です。retired weaponsが『PEN』に掲載された直後に、雑誌を見たと言って電話をくれた。彼の素早い協力があったからこそ、色んなことがあっという間に進みました。たくさんの編集者やミュージシャン、アート関係のプロデューサーが反応してくれたのも嬉しかったですね。CLASKAに出現した戦車に反応してくれたのは、世界のアート業界に通じている中牟田洋一さんでした。「このアートは世界に出るべきだ」と言葉をかけてもらい、世界中のアートディーラーに紹介してくれたんです。そこからミラノサローネにいきなり繋がった。

水谷 いきなり東京を飛び越えてミラノですか。では後編は、ミラノサローネから現在、そして未来に続くretired weaponsと石川さんの活動について、引き続きお話をうかがっていきます。

Vol.05 retired weapons再始動【後編】
世界デビュー後、休眠を経て再び走り出したretired weapons
dreamdesign 石川淳哉 junya ishikawa

石川淳哉junya ishikawa

ソーシャルグッド・プロデューサー
1962年大分県生まれ。世界のさまざまな社会課題を解決するために、クリエイティブの可能性を追求する人生と決断。
株式会社ドリームデザイン(HD)代表取締役、株式会社ベターワールドエナジー取締役、公益社団法人助けあいジャパン共同代表理事、一般社団法人with ALS理事、一般社団法人国際平和映像祭顧問

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