The Interviews

石川淳哉「ソーシャルグッドの男」 Vol.05

retired weapons再始動【後編】
世界デビュー後、休眠を経て
再び走り出したretired weapons

石川淳哉の代表的な活動の一つであるピースアートプロジェクト『retired weapons』の活動について【前編・後編】でお伝えします。今回は後編。ミラノサローネで大反響を巻き起こしたretired weaponsのその後と、これからについて。
(取材・文/水谷美紀)

ミラノサローネへの出展と反響

水谷 【前編】で、石川さんが2005年にアートディレクターの徳田祐司さんと立ち上げたピースアートプロジェクト『retired weapons』の誕生までの経緯をご紹介しました。【後編】ではその後の広がりと、今後の活動についてうかがいます。まず、ミラノサローネで展示を行った時のことをお聞かせください。きっかけは何だったのでしょう?

石川 CLASKAでこのプロジェクトを見た中牟田洋一さんが「このアートは世界に出るべきだ」と言って世界中のアートディーラーにretired weaponsのことを紹介してくれたのがきっかけでした。

水谷 ミラノサローネ(Salone del Mobile.Milano)は毎年4月、約6日間に渡ってミラノで開催される世界最大の家具の見本市で、現在では家具に留まらず優れたアート作品やプロジェクトの展示も行なわれています。近年では佐藤オオキ率いるnendoや吉岡徳仁、チームラボなども日本から参加していますが、非常に狭き門です。そこにピースアートプロジェクトであるretired weaponsが参加出来たというのは、非常に興味深いです。どのようにして展示に到ったのでしょう。

石川 2007年のことです。中牟田さんから、ミラノサローネに参加するLombardini22というイタリアの建築事務所があって、オープニングイベントにアートを展示するための世界的なコンペを開催するのだけど、そこにretired weaponsを出してみないかと誘われたんです。その時はさほど深く考えず、じゃあ出してみようかと気軽にエントリーしました。

水谷 まだお披露目しかしていなかったのに、最初の本格的な展示が日本国内ではなくミラノサローネというのは驚きですね。コンペを勝ち取り、展示が決まった時はどう思われましたか?

石川 実は決まってから展示までに1ヶ月しかなかったので、当時は準備に追われて事の重大さを考える余裕はあまりなかったですね。ただ、家具でもないし、大手メーカーでもないので、会場でこのアートがどう受け取られるのだろうというちょっとした不安と、わくわくする気持ちを同時に感じていました。けれどもそれ以上に、このアートを望んでくれる人がいたことが素直に嬉しかったです。それがミラノサローネだなんて、retired weaponsのデビューの場所としては最高だと思いました。

水谷 展示を行なって、現地の反応はどうでしたか?

石川 想像を上回る大盛況でした。イタリアの新聞はもちろん、ミラノサローネを取材に来ていた世界中の50社のメディアから取材依頼が殺到しました。そして、長い準備期間と莫大な予算をかけてミラノサローネに乗り込んだ大手メーカーではなく、僕と徳田とわずかなスタッフで運営しているretired weaponsのことをどこよりも大きく取り上げ報道してくれたことに、とても驚きました。当日のイタリアの新聞では文化欄のトップ記事として、ミラノサローネ全体の紹介を半分、残り半分をretired weaponsに割いてくれたんです。

世界の人の心をとらえた「花と戦車」

水谷 ミラノサローネは日本では考えられない大規模の見本市であり、参加しているメーカーの数も、展示されている作品の数も膨大です。その中でretired weaponsが大きく、しかも日本の新聞ではなく現地の新聞で取り上げられたというのは、画期的なことですね。

石川 当時はこのような大きな扱いをされても、まぁこんなもんだろうと当然のようにとらえていたのですが、後に何度かミラノサローネに足を運ぶようになって、実はほとんどあり得ない快挙だったということが分かりました(笑)。

水谷 何がそこまでイタリア人の心を打ったのでしょう。やはりストレートにメッセージが届くグラフィックの力でしょうか。

石川 それももちろんありますが、この大成功には実はもうひとつ大きな理由があったんです。僕も現地に行くまで知らなかったのですが、イタリアには日本でいう『上を向いて歩こう』のような、イタリア人なら誰でも知っている有名な歌があるんです。やはり第二次世界大戦後に作られた歌で、戦争で多くの若者の命が奪われたイタリアの復興と平和を願う内容なのですが、その歌のタイトルが『花の咲いた戦車』というものだったんです。

水谷 まさにretired weaponsそのもの!

石川 そうなんです。ですからretired weaponsのことを知った多くのイタリア人は「PACE(peace)」と叫び、この歌を口ずさみながら会場に入って来ました。そして曲がった銃口に花を挿した巨大な戦車のバルーンを見て、「本当に戻ってきた!」と、とても喜んでくれたんです。イタリアで歌い継がれている平和のイメージを、僕達はそうと知らず、たまたま具体的なアート作品として提示した形になったのです。

水谷 評判を知った他の国からもオファーが殺到し、そのうちの幾つかの国で展示をされたと聞きましたが。

石川 最終的にはアフリカ、イスラエル、ブラジル、アルゼンチン、カナダなどの17都市から依頼が来て、そのうちベルリン、ロンドン、博多の3カ所で展示をしました。本当は17都市全てを回りたかったんです。ただ、会場での展示に関する費用は依頼側が負担してくれるけど、展示品の輸送料や我々スタッフの現地滞在費は全て自分達で賄わなくてはならなかったので、3カ所が限界でした。当時クラウドファンディングがあれば、勢いそのままに突き進んでいたかもしれません。それでも行く先々で好評で、やって良かったと心から思いました。

水谷 世界での成功を受けて、いわば凱旋帰国となったわけですが、日本での反応はいかがでしたか?

石川 博多での開催もとても好評でしたが、受け入れられ方がまったく違うと感じました。戦車やピストルという物が、海外に比べて身近ではない日本では、リアリティを持って受け取られなかったのかもしれません。ヨーロッパだと、国境を挟んだ隣国で戦争や内紛が起こっているため危機感が違うようです。若い人でも身近に戦争で亡くなったという人が沢山いるせいか、反応が日本とはずいぶん違うと感じました。日本ではまずデザインから反応してくれる人が多いのですが、海外だともっと熱いんです。「君たち、よくこの表現を見つけ、ここに持ってきてくれたね」という感じでしょうか。

平和を願う世界中の人と出会いたい

水谷 その後、最近までしばらく活動を休止されていましたね。

石川 3カ所で展示を行った後、徳田と話し合い、一旦活動を休むことにしたんです。retired weaponsは一過性のプロジェクトではなく、戦争がなくなるその日まで、続けることが大事。僕は会社経営、徳田も電通の社員でしたから「続けるために無理をしない」と決めていたのです。その後、東日本大震災が起こり、僕は『助けあいジャパン』を立ち上げたことをきっかけに、しばらくはこちらに全力でコミットする決心をし、retired weaponsの活動は本格的な休眠に入りました。

水谷 今年を再始動の年にした理由は何かあるのでしょうか。

石川 震災から5年が経ち、『助けあいジャパン』も東北支援を一旦終了したことが大きいです。会社もホールディング化し、僕自身今後の活動を100%ソーシャルグッドにする宣言をしたこともあって、今がretired weapons再始動するのにベストなタイミングだと判断しました。昨年、またしても“わらしべ長者”のような出会いがあったことも関係しています。

水谷 前回も話に出ましたが、またですか?(笑)

石川 ええ、またもや(笑)。平和のきっかけになる映画しか配給しないUNITED PEOPLEの関根健次さんが始めた『国際平和映像祭』の顧問になったことをきっかけに、一人の女性と知り合いました。彼女にこのプロジェクトの話をしたところとても興味を持って頂いたので、retired weaponsのTシャツやコースターをプレゼントしました。そしたらそのコースターが何人かの手を渡ってニューヨークにいるある人物に届き、そこから止まっていた時計の針が一気に進み始めました。まだ詳しいことは発表できませんが、2017年は多くの都市に出かけることになりそうです。

水谷 色んな国であの戦車が目撃されるかもしれないんですね。

石川 世界中の町でピースパーティって素敵でしょ。新しい出会いが楽しみです。311を経験し、『助けあいジャパン』での活動を経て思ったことは、「自然災害は止められないけれど、人が起こす戦争は止められる」ということです。夢を見ながら選択可能な未来を作るためにクリエイティブプロデューサーの僕に何ができるか、まだまだ未知数ですが、とにかくアクションを起こしてみる事が大切だと思っています。これを読んでくれた皆さんにも、再始動したretired weaponsを応援して頂けたらと思います。

Vol.06 気づきの2016年から行動の2017年へ
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石川淳哉junya ishikawa

ソーシャルグッド・プロデューサー
1962年大分県生まれ。世界のさまざまな社会課題を解決するために、クリエイティブの可能性を追求する人生と決断。
株式会社ドリームデザイン(HD)代表取締役、株式会社ベターワールドエナジー取締役、公益社団法人助けあいジャパン共同代表理事、一般社団法人with ALS理事、一般社団法人国際平和映像祭顧問

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