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2011.12.31 16:09

四ヶ月で少年は大人になる

前記事一本松に捧げる光プロジェクトから続きます

少しうざったい男の子

小林大地くんは、ボクが主催する「クリエイティブの可能性東北ボランティア夏合宿」に参加した慶応SFC一年生男子、そこではじめて会った。どっから来たんだっけなあ…あっそうだ思い出した。藁谷(わらがい)健くんという慶応SFCの三年生が「助けあいジャパン」に参加して手伝ってくれてたのがキッカケだ、そこまで戻るのか(笑)。その藁谷くんが坂井直樹ゼミの委員長だったんだ確か。そのゼミは、SFCの中でも抜群に人気が高くって、藁谷くんの面接通って、坂井さんの面接をクリアしないと受けられなくて、そのゼミにどうしても入りたい大地くんは、気に入られたくって気に入られたくって藁谷くんの側でいつもご機嫌を取るという18歳、高校生から大学生になろうとしている一人の、正直少しうざったい男の子でした。バスで「ロックマン」の真似する少年です。大人にはまったく分からないし、同世代からも失笑をかってしまう、そんな入り口しかまだ持っていなかった痩せっぽちでニキビ面の男の子。藁谷くんが合宿に参加したから付いて来たおまけのような男の子。

スイッチ オンの瞬間

そんな小林大地くんにスイッチが入った瞬間。それは「クリエイティブの可能性東北夏合宿」(詳細はリンクで)に参加した時に起こった。彼のきっかけは、高田松原を守る会の小山芳弘副会長の話を奇跡の一本松の側で直接訊いた事。「松原の歴史」「悔しい」「必ず復活させてみせる」と一人の初老の男が話している間、確かに全員涙を流していた。彼の中でスイッチが入った。彼にだけ、何かが降りて来た。どうして入ったんだろう。小山さんが、おじいちゃんにでも似ているのかなあ。そう、とにかく入った。

おっちょこちょいでしつこい

合宿から戻って来て、すぐに会社を訪ねて来てボクにこういった。

「小山さんを助けたいです。自分の残り三年半の学生生活の土日すべてを陸前高田で小山さんをサポートしたいんです。助けてください」

なるほど、想いとお願いは直球でかっこいい。でも、これを実現するのは、かなり大変。まずは、小山さんの想いをきちんと伺うためにその次の週末に彼が小山さんを訪ねることになった。かっこいいこといってるけど、財布を無くし、お金もないというので、バスの往復代を持たせた。
最初はクルマで移動する15分しか話せなかった、とガックリ項垂れて東京に帰ってきた。気に入られたい、想いを受け取りたいけど、うまくいかない。〈年齢の差〉〈被災地と東京の差〉〈経験の差〉〈想いの差〉…いろんな差に、どう対処していいかわからなかっただろう。小山さんは、自らも造園業で高田松原の復活のキーマンだった。メディア取材もひっきりなしで「手伝いたいんです」っていう蒼いだけの大学一年生のことをこの時点では信用なんて出来ない。でも小林大地は諦めなかった。諦めが悪かったとも言える。何度も何度も訪ねていった。東京から陸前高田はみなさんご存知の通り果てしなく遠い。一人だと嫌になるぐらい遠い。
なんだか、遅々として進まなかった。奇跡の一本松と小山さんは、ぎりぎりの生命の戦いをしていたので大地の相手なんてしていられなかった。

2011.11.11 イナズマ設立

今思うと、これがでかいのかもしれない。
「クリエイティブの可能性東北夏合宿」の大人10名の中に、電通国際部に在籍していた辰濃二郎と、HOPE100という震災チャリティセミナーを実行している中島明がいた。必然の流れか、この三人で会社を創る事になった。社会的価値創造会社|イナズマ。普通の会社じゃ、そんなこと絶対しないが、イナズマは「高田松原の復活」に担当(辰濃二郎)と予算を付けた。この日から小林大地と辰濃二郎は、兄弟のように動いたし、ボクと中島明も徹底的なサポートをした。〈年齢の差〉〈被災地と東京の差〉〈経験の差〉は、イナズマが埋めた。あとは、〈想いの差〉だけだ。大地の想いは、見事に日に日に大きくなった。小山さんも11月を終える頃には、大地に直接日に何度も電話をかけてきてくるようになっていた。

「祈り」と「鎮魂」

陸前高田|久保田崇副市長に相談したり、JTBとグリーンツーリズム計画を立てたりと、色々と計画を進めていたのだが、「奇跡の一本松の延命は絶望的」と、小山さんから悲しい連絡が入った。守る会のメンバーは老い先の短い老人が多い(あっ、これご本人がよく使うコトバです)直接は観ていないが、落胆の様子も見ていられないぐらいだったらしい。われわれも落胆した。12月の頭の事だ。
しかし、ある意味プロジェクトが動き出すいいきっかけになったともいえる。一本松をきちんと見送ってあげなくてはならなくなったのだ。難しかったのは、一本松にこれ以上注目を集めるか、いやひっそりと逝かせてあげよう、という二つで意見がまっ二つに割れたこと。喧々諤々、二転三転の日々が続いた。最終的に決まったのが「祈り」と「鎮魂」、この在り方だ。陸前高田の人だけが見てくれて、共にいてくれて、「祈り」と「鎮魂」の光が空にすっと伸びている姿を、ただただみてくれるだけでいいと思った。
お報せしてもいないのに、なぜか、取材陣が殺到した。僕らはリリースさえ用意していなかったので、どう報道されるのか流れに任せるしかなかった。結果は、奇跡のようだった。すべてのメディアが想い想いに素晴らしい心のこもった記事を書いてくれた。

【最後の聖夜 雪に輝く】サンケイ新聞
枯死状態との宣告を受けた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」がクリスマスイブの24日、一夜だけライトアップされ、雪の舞う中で浮かび上がった=写真。「住民へのクリスマスプレゼントになれば」と、学生ボランティアや松の保存活動を続けてきた「高田松原を守る会」などが企画した。「一本松への感謝」と「復興への祈り」の思いが込められた2本のサーチライトは、上空にまっすぐ伸びた。

【3.11 それから 希望の光浴びて】読売新聞
計画的避難を前に、古里の桜を目に焼き付けた春。がれきの山の中でお盆を迎えた夏。放射性物質の除染作業が始まった秋。被災者の心の傷が癒えない中、季節は巡った。再生のシンボル「奇跡の一本松」は、懸命の保護活動にもかかわらず蘇生は絶望的となったが、ライトアップされた凛とした姿が被災地を勇気づけた。復興に向けた一歩が踏み出された9ヶ月をたどる。

四ヶ月で少年は大人になる

陸前高田ホワイトクリスマスに行われたのは、一本松のライトアップだけではない。7万本の松原を復活させるために休耕地だった土地を三面貸していただき、そこを耕すボランティアを計画し、そのボランティアと高田松原を守る会とのキックオフ集会を実施した。それをすべて仕切って司会進行したのが、四ヶ月前には人にどう気に入られるか、よく見られるかしか考えていなかった少年だ。
銀河鉄道999の鉄郎が大人になって行くように、小林大地は大人になった。
この目で見ていたそれは、奇跡のようだった。

これも、一本松の奇跡なのだろうか。

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