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2012.01.15 11:01

緑の日本、誕生

中沢新一の宣言

思想家の決断

311が起き、思想家は地下に潜った。共著『大津波と原発』(内田樹×中沢新一×平川克美 )のなかで、中沢自身引きこもっていたと吐露している。何ヶ月もアウトプットは一切せず、外界と接触を断った。人類が経験した生活圏内での出来事をひとつひとつ分解、再編集する時間が必要だったのだという。結果、コトバとコトバ、心と心というバーチャルなやりとりをずっと表現して来た一人の希代の思想家が、311を契機に自らの生き方と手法そのものを変え「現実世界へ実在するツールが足りなさすぎる、それは自分がやるべきだ」との決断をしたというのです。
まず、この事実に驚愕せざるを得ない。そして、その勇気と決断に感謝したい。ボクの印象では、中沢の思想ベクトルはいつでも愛すべきものだったのだけれども、とても自分でやる人ではなかった。「やる必要があるのであろう。だからどなたか手を挙げるべき時なんだよ」と静かに静かに言い続けていた人だと思う。脳と心の精神世界が自分の役割で、足を動かし汗をかくのは思想家がやるべき部分じゃない…それが信じるべき彼のドメインなのだ、と中沢は思っていたに違いない。ボクも彼の役目はそうなのだろうと思っていた。昨年上梓した『日本の大転換』(集英社新書)に「新党設立」の予感はたしかに書いてある。が、中沢が本当にやるなんて、少なくともボクは思っていなかった。ごめんなさい、読み流していました。一回り年上のいろんなことを教えてくれた愛すべき思想家が動き出した。恩返しをする時が来たのかも、と感じています。

この話は、しておかなくちゃ

今から10年ほど前のことだ。あるプロジェクトのキーマンとしてどうしても中沢新一さんを口説き落とさなければならない案件があった。中沢さんは、学生時代のボクにとって、ヒーロー中のヒーローだった。まずはお手紙を出してそれからメールで何度か連絡をして、「山の上ホテルで逢いましょう」と約束を取り付けた。山の上ホテルは全館に酸素とマイナスイオンを配給し、息をしているだけで脳がパキッとなる。そのため多くの文筆家に愛されている文壇ホテルとして名高い。なんだか、アウェーな気がしてそれだけでも緊張した。
挨拶を交わし、プロジェクトの詳細と意図、そしてなぜ中沢さんでなければならないのかを説明した。口から先に生まれて来たと揶揄されるこのボクが、なんと吃っていた。考えてることと話していることになんか違和感というかタイムラグというか、うまくつながっていない気がしたのだ。話がチベット、細野晴臣、ユーミン、オウム真理教の話になっていくあたりからやっと落ちついてきた。そして、最後に「ボクでいいなら、ぜひ」と快諾をもらった。中沢さんとカフェで別れ、車庫から車を出し、アシスタントと二人で乗り込んでイグニッションを回した。

石川「いやあ、緊張した。こんな経験は初めてだよ。長かったなあこの二時間半は」

秘書「えっ、石川さん、今何て言いました?何時間・・・って」

石川「いや、だから二時間半」

秘書「時計をみてください」

BMW3シリーズステーションワゴンのアナログ方式のインパネの時計は、オレンジ色の針で13時40分を指していた。僕らが山の上ホテルに入って中沢さんとテーブル越しに握手を交わしたのは13時きっかりだったことに間違いない。なんと、たった40分しか経っていないなんて。きっとボクの脳は普段と違う動きをしていて、約5倍の速度で煙を上げながら回っていたろうに違いない。鼻がなんだか焦げ臭くなって来た。車かな、いやどうやらそうじゃない。50メートルぐらい車を走らせたボクは車を静かにホテルのスロープの脇に停めドアを開けた。胃の中のものをすべて戻すために。

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