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2014.03.26 09:58

語り部と手振り隊と陸前高田。

一日600台。陸前高田の市街地に入ってくるトラックの数だ。この街に来るのは30回目ぐらいだがはじめてかなあ、復興の香りを感じたのは。街全体の嵩上げ、復興住宅、道路、防潮堤、多少コンクリートのボリュームが多いのが気になるし、全員の微細な希望をすべて汲む訳にはいかないだろうけど、確かな一歩を踏み出したと言えるんじゃないだろうか。

この街に暮らす釘子明さんは、語り部という肩書きを持つ。流された自宅の跡地にプレハブを建て事務所を開いた。自らの震災経験を日本中の防災意識の向上にまで昇華した数少ない語り部として日本中の行政や企業や学校を巡る忙しい日々を送っている。「震災の経験をお金に換えている」との批判も少なくないらしいが「続けて行くために職業としての語り部を選んだし、それが一人でも多くの命を救うのならば、わたしはそれをやる」と、本人はいたって晴れ晴れしている。釘子さんのお話は命の尊さ、未来の指針を示してくれる、そして何より声がいいのでボクは大ファンだ。

その釘子さんに、高田大隅つどいの丘商店街の二階を案内してもらった。ここは、シェアオフィスになっていて20代30代の若者だらけで圧倒的に明るいのに驚いた。ボクがオフィスに入ると全員が椅子からスクッと立ちあがって、明るい顔で挨拶してくれたのだ。これ、すごくうれしかったなあ。陸前高田って場所は、こういう人を一発でファンにしてしまう能力が備わっているのかもしれない。そうだ、もしかしたらあのDNAかもしれない。2012年クリスマスにその役目を終え閉鎖した災害ボランティアセンターに手振り隊っていう人たちがいたんです。彼らは、1km先のボランティアバスが見えなくなるまで「ありがとおおおございまあす」といいながらずっとずっとバスを見送ってくれた。不安な気持ちでわざわざ沿岸部にやってきて、たった数時間ほどの作業で、本当に役に立ったのかどうだろうかと戸惑うボランティアは、あの手振り隊に何度も救われたものだ。かくいうボク自身も何度も救われた。

旅行者として街並と距離を置いてみるミラノの街は、外観の石がとても冷たく見え、跳ね返されるほど受け入れてくれない感じがしていた。縁あって展覧会をする機会をいただき、ミラノの中心部に二週間ほど一つの場所に滞在したことがある。すると中庭とオフィスの内部の工夫と温かい人々の笑顔と美味しいトリッパがそこにあった。するとどうだろう、全然違った街に見えたのだ。外側からみるとコンクリートと粉塵しか目に入らない現在の陸前高田も、こうやって若い力が集い、未来を創っているのだと思うと、とてもうれしくなった。陸前高田は、きっと素晴らしいカタチで蘇る、そう信じている。

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