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2014.12.04 19:48

通れない道

カーナビは、常磐道を指した。あれあれ、通れるはずのない道のはずだ。南相馬ソーラ・アグリパークにいくため、東京で住所を入力した時のことだ。いわきから、南相馬に行くには常磐道を突っ切れば30分ほどの道のりだ。しかし、ご存知のように漏れた放射能がその行く手を阻んだ。

2011年以降、僕は、何度も何度もいわき湯元から磐越自動車道を北上し、三春・川俣・飯舘を抜けていく迂回路を四時間ほどかけて移動した。この四時間を嫌いじゃなかった。駄洒落を武器に一世を風靡したコピーライターが福島のことを「うつくしまふくしま」と名づけたが、その意味が沁み入るようにわかる道だったからだ。あなたも走ってみるといい。きっと、本当に美しい山々に驚くことになる。

BMW i3 のドライバーズサポートを呼び出して常磐自動車道を通れるかどうかを確認する。オペレーターは11月頭に道が開通したことを告げる。しめた。運がいい。大幅に時間が短縮できる。そして電気も節約できる。いわきから楢葉を抜けて常磐富岡をACC(アクティブクルーズコントロール=自動運転装置)で走る。自動でアクセルを踏むこともないので景色を見る余裕が生まれる。紅葉真っ盛り、除染の手が届かず陵辱されたままの山が赤や黄色に美しく燃えている姿は、徒花のようで虚しい。

富岡で高速を降りると、そこは廃墟だった。道と住宅の間には鋼鉄の仕切りがすべてに施され、通れはするが仮死状態の町を受け入れるだけの時間がそこに流れる。かつて、おいしい米を生産していた田畑には、収穫の後の藁ぐろの替わりに黒いビニールシートに包まった大量の汚染土壌を剥いだ土がそこら中に積まれている。行き場所のない黒いビニールシートたちは、これから微塵も動きそうにない。人々はここに戻れるのだろうか。

原町に入るとやっと少しだけ人の気配がしてきた。南相馬ソーラ・アグリパークに到着するやいなや、すぐに生太陽光をそのまんま電気自動車のグリルに突っ込んだ。砂漠を横断した商人が水がぶ飲みするように。東京から常磐道を上ってきたバッテリーはもはやカラカラだったのだ。ガイアの夜明けで見ていた施設は、想像していたより小さかった。もっと高い場所に作ってあるのだと勝手に思っていたが、そこは津波をもろに被った地域にあった。発電の規模もそれほど大きくはない。グランパ製の農業エアドームが二機。いわばショーケースでしかない。しかしながら、ここは、大きな発明的第一歩だ。

子どもたちは、ここで電気が生まれる行程に触れる。福島で産まれ、東京で消費されるため高圧線で運ばれていくための電気製造施設が、15万人を放浪の旅に追いやり四年近く経つ今も我が家に戻れないという現実を思い知る。まず、知るということ。素晴らしい第一歩。それが教育なのだ。

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