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2015.01.27 16:50

もう、吸入器はいらない。

喘息とつきあって永い。三歳の頃、肺炎にかかり死の淵に。一命は取り留めるが、その後喘息が残ったらしい。子供の頃「空気中で溺れる恐怖」と戦った。呼吸ができずに「ああ、このまま死ぬのかな?」って何度思ったことか。今なら吸入でパッと発作が止まるけど、当時は子供だったからかなあ。特効薬が無かった。子供の頃の記憶は、母の背中におんぶされてぜいぜい言いながら唇が紫色になった自分。電話も車もなかったので夜中に救急病院まで何度母に連れて行ってもらったことか。体質改善の注射を毎月打ちに一時間半バスに揺られて県立病院に通い、乾布摩擦をし、ナメクジを煎じ、祈祷にも連れて行かれた。それでも、喘息はよく晴れた夏の午後くっきりと浮かび両足から離れない影のようにずっとまとわりついた。

高校の頃からかな、吸入器が出回った。すぐに発作を止めてくれる魔法のようなものでこれは重宝した。普通の生活ができるようになった。がしかし、今度はどこにいくにも吸入器が手放せなくなった。体育祭も、サッカーの試合も、マラソン大会も、はじめてのデートも、受験も、海外ロケも、打ち合わせも、世界中を回るゴルフツアーの帯同キャディのように離れなかった。そうやってそれは30年以上もの間、徐々に僕の心臓を蝕んでいった。

2011年の冬、岩手に情報支援に行っていた時のこと。釜石の居酒屋で突然喉の奥が「ひゅ〜〜〜」と鳴った。来た、発作が起きたようだ。急いで車に戻って探すが、なぜか荷物の中に吸入器が入ってない。パニクった。わかってる。見知らぬ土地、究極の寒さ、緊張している、こういう時は、だいたいにおいて発作は治らず酷くなる一方だ。

岩手県立釜石病院に飛び込んだ。救急の受付を済ませて待っているとそこには、震災時のトリアージの説明がいたるところに貼ってあった。テレビ画面でみたあの凄まじい現場を思い出した。次が自分の番だという段階で救急車が着いた。あのとき大量の海水と泥を飲んでしまって咳が止まらないおばあさんだった。僕の順番は繰り越された。苦しみながら考えた。情けなかった。岩手のために来たはずなのに、かえって迷惑をかけているじゃあないか。喘息を治したい。心からそう思ったのは初めてかもしれない。

家内が未病クリニックを探してくれた。青山の広告代理店の近くにあるそのクリニックは少しいかがわしい。保険も効かないので滅法高い。あらゆる末期患者がそこを人づてに頼ってくるというクリニック。アレルギーの原因は実は「腸」にあると言われ、自分の体に合わないものを体に摂取すると、体の表面には顕れないアレルギーが腸の中に起きていて腸が炎症を起こして血液が淀み濁る。それが腸から染み出して血管を通って脳に到達し、僕の場合は自律神経がうまく作動せず呼吸器がエラーを起こすのだという。自閉症や鬱の大概の原因もそれなのだという。

血を採ってアメリカの研究機関に送り100種類の食材の腸内アレルギー源を探った。二週間後にその結果は届いた。僕の場合は、卵の白身、黄身、牛乳及び乳製品がそれに該当した。それからというもの、バケツで食べるほど大好きなプリン、茶碗蒸し、すき焼きの卵、チーズ、生活の中からそれらのものを一切排除した。やってみるとわかるが食べるものがない(笑)それから3年が経過するがそれ以来喘息の発作は一度も起きていない。あれほど苦労した自分の生涯の伴侶とも思っていた喘息がだ。残念ながら自閉症や鬱が治るかどうか僕にはわからない。でも喘息は完治し、それ以来人生が一変した。

アレルギーや心の状態が重いなあと感じる人は、一度試してみると良いと思います。連絡いただければ詳細をお伝えします。

注)これは完治ではなく、コントロールしている状態でありそれを「寛解(かんかい)」ということを高校の同級生に教えてもらいました。確かにそうですね。文面はそのままにしておきます。

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