2011.06.01  長谷川等伯の松林と、あの一本松

 前回、陸前高田の浜に残った一本松のことを書きました。多くの反響をいただきました。そのなかに、大学1年になった孫が「あれは僕の祖父です」と知人に当てたつぶやきがあってびっくり。それを知らせてくれたのは、若い友・石川淳哉君。そしてブログアップを支援してくれている彼と、彼の会社ドリームデザイン社員たちのおかげです。
 IT世界がほとんどわからない老人が、思わぬところでその威力に直面して驚いたのです。このようにITの力によって、人は人と連帯していく。それが新しいコミュニケーション社会の特長なのだと実感しました。被災地と日本全国を結ぶのも、北アフリカに「春」をもたらしているのも、ITコミュニケーション力が生み出す連帯力なのでしょう。

 松の木が思い出させた長谷川等伯
 昨年3月、東京国立博物館で『長谷川等伯展』を見ました。昨年が画家・等伯の没後400年に当たり、
国宝3件、重要文化財約30件が一挙に公開されたのです。
 等伯といえば、かの水墨画「松林図屏風」でしょう。しかし、その枯淡崇高独自に至る道のりの初期には多くの仏画があり意外でした。
 日蓮上人をなん枚もなん枚も描いています。南無妙法蓮華経と、題目を大書した掛軸もある。どれほど熱心な法華経信者だったことか。これは、ぼくにとって発見のひとつでした。
 多くの批評や解説はほとんど彼の信仰に触れていません。迂闊というべきでしょう。等伯という人物を予見なく見ようとすれば、初期の数多い日蓮肖像画を無視するわけにはいかない。そう思います。
 テレビ映像でみた陸前高田の一本松。そして等伯の幽遠なる松林。松たちは時空を超えて海の声を聞き、人間の暮らしに深くかかわっていた。その思いを改めて噛みしめています。

 思わず、宮澤賢治を連想
 等伯の日蓮上人像を眺めながら連想したのは宮澤賢治でした。あの賢治もまた熱心な法華経信者であり、その信仰から生まれる価値観と直観から彼の詩も童話も、農学校での生徒指導も生まれたはずです。しかし、賢治の詩や童話など文学的な仕事への評価が高いのに対し、人間賢治の心の根源にあった法華経信仰を重視した解説や評論はほとんど見られません。片手落ちを超えて、
公正さを欠いているように思えます。
 知識人にとって、宗教に触れることはなぜ苦手なのでしょう。できれば触れずにいたい、そんな空気があるようです。そこからは、ほんとうの芸術評論は生まれないのではないか。等伯と賢治の本当の研究評価はこれからだと感じます。
 宮澤賢治が心に描いた理想郷「「イーハトーブ」。岩手県のどこをイメージしていたのでしょう。岩手県、いや新しい東北コミュニティ復興計画の精神的コンセプトとして「イーハトーブ」のことを噛みしめてほしいと願います。

 真実の追求は難しい。しかし、ものごとを見るとは、虚心に見る、与件なく見る、五感で見る。既製概念にまどわされずに、自分の直観と知性、そして想像力を働かせて見ることが大切なのではないでしょうか。
 きょうも、あの陸前高田の一本松が気になっています。海の水にひたされつづけて、枯れてしまわなければいいのですが。(A)

1件のコメント

  1. 石川淳哉

    パノラマで観る一本松です。http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2011/0405rikuzen/

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